たくみのせとうち不動産事業

瀬戸内海で戸建を中心に不動産賃貸業やってます。

1200年前の道具を目に出来る希少性

せとうち地域で戸建賃貸を運営しております。

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おはようございます。

たくみです。

 

他県に行くと

 

交通ルールがわからないことがいくつかあります。

 

左折可の標識が無いのにみんな左折していく

線路の手前は一旦停止だけど、停まらなくて良い地域

 

暗黙の了解っていう地域のルールがありそうなんですよね…

全国一律ルールになったのは明治以降で同じ言葉をしゃべって、同じ文字を使う。

国民国家になる時、国が教育費を負担して統一ルールを作ったって言うのがホントのところなので、江戸時代なんかはもっと地域ルールがあったでしょうね。

 

統一されて良くなったこともあるし、良くないこともあるけど、日本を意識しやすくなったことは確かですね。

 

看板見ながら統一されてないルールを意識してます😆

 

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しまなみ街道横断

 

 

めちゃ良い天気でした。

橋を渡ってる人も多いですし、気持ちいい程度の風。

最高です。

 

再度の訪問になりました

大山祇(おおやまづみ)神社に行ってきました。

 

 

昨年の大河ドラマ見られてたら

行ったら楽しめるかもです。

 

今回は御朱印ももらいつつ

初の宝物館へ行ってきました。

 

宝物館には

長刀、太刀がたくさん奉納されていまして

 

源頼朝

源義経

巴御前

武蔵坊弁慶

日本最古の950年頃の甲冑の一部まで保管されていて

武具の国宝・重要文化財の8割はここにあるそうです。

更に天智天皇の納めた宝物もあったりして、歴史の中にいるみたいな感じです😅

 

平安時代のモノがすごいビックリするんですけど

その後、南北朝、室町時代、江戸時代のものもあるんですが…

 

宝物館の方に

 

「どうやってこんなに集まったんですか?」

 

って伺うと

 

ドサッと束になっている宝物奉納のリストを指さしつつ…

 

「平安時代のモノがたくさん奉納されているのはその後の方々も見ていた。

更に江戸時代の頃、松山藩が大三島を治めていて参勤交代の際に大事な武具をどんどん奉納する方が出てきたこともたくさんの武具が集まった要因です。納めるなら大山祇神社という意識が伝わっていったからだと思います」

 

って仰ってました。

 

「おおー源義経の八艘飛びのあの鎧がある!」

って驚いてる私と同じように

江戸時代の方々も何か納めないと気が済まなくなったのかもしれませんね😆

 

その頃はこの神社に市場がたくさん立ち上がってすごい活況だったそうです。

その当時でも歴史的価値のあるものを奉納することで神社や土地の価値を上げていたんだと思いますね。

 

伺った当日も結構人がいましたけれど、そんなもんじゃなかったでしょうね。

随分交通事情が変わり、移動の手段が全く変わってしまった現代。

 

こういう建築や宝物を残す人もだんだん減ってきてるだろうから

ここも希少な仕事の1つかもしれません。

観光ではこういうモノが世界の人に受け入れらそうです。

 

通常…1200年前の武器がこんな綺麗に簡単に目に出来ないんだからねぇ

 

大三島はサイクリングの聖地なので、グランピング施設とかサイクリング向けの施設がちょっとずつ増えて来てます。

不動産の魅力ってやっぱり土地の歴史も1つでしょう…

 

人の認識で価値って変わる

から日本国内の観光と海外からのインバウンドでもっと価値が上がっても良いところだなって思います😄

 

以上です


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